1954年(昭和29年) |
5月 |
東京都大田区矢口町に、初代社長鈴木正夫が資本金480万円にて設立 |
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6月 |
資本金を1,000万円に増資 |
1955年(昭和30年) |
4月 |
資本金を1,500万円に増資 |
1956年(昭和31年) |
10月 |
資本金を2,500万円に増資し、蒲田第一工場に電縫鋼管造管機を設置 |
1957年(昭和32年) |
10月 |
蒲田第二工場を建設し、新しい電線管製造設備を設置
新橋営業所開所 |
1958年(昭和33年) |
4月 |
資本金を5,000万円に増資 |
1960年(昭和35年) |
10月 |
船橋工場建設用地を取得 |
1961年(昭和36年) |
5月 |
資本金を7,500万円に増資し、船橋工場建設に着工 |
1962年(昭和37年) |
4月 |
サーマトゥール式高周波電気抵抗溶接造管機による新生産方式に成功 |
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5月 |
本社を船橋市栄町に移し、資本金を1億円に増資 |
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10月 |
名古屋営業所開所 |
1963年(昭和38年) |
4月 |
船橋工場建設第1期計画完成(造管機4基を設置)。この完成により、蒲田第一工場では角パイプ並びに軽量形鋼の生産を開始 |
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5月 |
資本金を1億5,000万円に増資 |
1964年(昭和39年) |
5月 |
資本金を2億円に増資 |
1965年(昭和40年) |
5月 |
東晴株式会社発足 |
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10月 |
日本工業規格(JIS)表示許可工場の指定を受ける
(配管用炭素鋼鋼管、一般構造用炭素鋼鋼管、機械構造用炭素鋼鋼管) |
1966年(昭和41年) |
2月 |
中京地区に三好工場(切断加工)建設 |
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4月 |
大阪営業所開所 |
1967年(昭和42年) |
9月 |
船橋工場建設第2期計画完成(造管機5基を設置) |
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12月 |
電業運輸株式会社発足 |
1968年(昭和43年) |
2月 |
日本銀行再割引適格会社と認められる |
1969年(昭和44年) |
11月 |
青葉寮(独身寮)竣工 |
1970年(昭和45年) |
10月 |
船橋工場建設第3期計画完成(造管機6基を設置) |
1973年(昭和48年) |
9月 |
船橋工場建設第4期計画完成(軽量形鋼成形機2基、広巾形鋼成形機1基を設置) |
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11月 |
本社新社屋竣工 |
1974年(昭和49年) |
7月 |
船橋工場建設第5期計画完成(造管機2基を設置) |
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11月 |
船橋工場建設第6期計画完成(南側倉庫建設) |
1982年(昭和57年) |
12月 |
日本工業規格(JIS)表示許可工場の指定を受ける(一般構造用角形鋼管) |
1983年(昭和58年) |
5月 |
資本金を2億500万円に増資 |
1984年(昭和59年) |
9月 |
新橋営業所・新社屋竣工 |
1985年(昭和60年) |
5月 |
軽量形鋼塗装設備を設置、稼動 |
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10月 |
株式会社東洋加工センター発足 |
1989年(平成元年) |
2月 |
東晴株式会社を東洋電業販売株式会社に社名変更
角形鋼管塗装設備を設置、稼働 |
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3月 |
船橋工場建設第7期計画完成(東側製品倉庫建設) |
1995年(平成7年) |
11月 |
株式会社東洋加工センターを有限会社に組織変更 |
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12月 |
鈴木邦夫が代表取締役社長に就任 |
1996年(平成8年) |
5月 |
福島県西白河郡泉崎村、泉崎中核工業団地に工場建設用地として
126,800uの土地を取得 |
1997年(平成9年) |
7月 |
泉崎工場建設に着工 |
1998年(平成10年) |
12月 |
泉崎工場竣工、稼動 |
2001年(平成13年) |
2月 |
泉崎工場、日本工業規格(JIS)表示許可工場の指定を受ける
(一般構造用炭素鋼鋼管、一般構造用角形鋼管) |
2004年(平成16年) |
9月 |
創立50周年を迎えた |
2007年(平成19年) |
7月 |
船橋工場・泉崎工場 新JISマークの認証を日本検査キューエイ(株)より受ける。(一般構造用炭素鋼鋼管・機械構造用炭素鋼鋼管・配管用炭素鋼鋼管・一般構造用角形鋼管・一般構造用軽量形鋼)
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2008年(平成20年) |
1月 |
社内システムを刷新・稼動 |
2009年(平成21年) |
4月 |
カラー製品にF☆☆☆☆相当塗料を使用 |
2014年(平成26年) |
4月 |
カラー製品に「グレー色」を採用 |
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9月 |
創立60周年を迎えた |
2015年(平成27年) |
4月 |
船橋工場 一般構造用鋼管造管ラインの一部にミーリング式走行切断機を導入
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